困難のある子どもたちにとって「高校が最後の砦」
これは深く共感できる言葉だった。
舞台となる槙尾高校(仮名)は、
これまでうまくいかなかった子どもたちに、
居場所と希望を与える再チャレンジ高校である。
偏差値は私のいる大学と変わらない。
だから、私たちの大学ような低偏差値校も、
社会へ子どもを送りだす「最後の砦」と考えている。
これからの少子化で労働人口が減るなか、
AIに負けない人材を育成する役割がある。
教員が変わらなければ子どもたちも変わらない。
槙尾高校の改革は「問題のある子どもには必ず理由がある」
という視点からに教員たちが立つことから始まった。
ここでのポイントは3つ
1.問題がある生徒は自分を大切にされた経験がない。
家庭環境に問題があって、親に期待しても裏切られる経験ばかり。
そうした期待への諦めが大人への不信感となっている。
ひとりひとりの背景を理解した上で対応をする。
2.教員同士が支え合い、生徒に向き合う
生徒の悪口を言って笑う教員たちのように、
無気力な教員が状況を悪化させる。
生徒の背景理解と教員がチームで対応する。
3.学校でしか問題のある子どもを見つけられない現状
「家庭のバケツの底が抜けきっている」環境にいる子どもたち。
高校にきて初めて事情を理解してマンツーマンで対応する教員。
理想ではあるが、高校を卒業するとそうした問題のある若者は、
支援の枠組みに到達することなく埋もれてしまう。
だから槙尾高校は社会と学校をもつなげている。
槙尾高校の事例だけなく、
「家庭のバケツの底が抜けきっている」状況を、
学校のみが知るようなシステムに問題性を感じる。
そして、安易にNPOに頼ろうという行政の姿勢にも問題がある。
このような問題は社会システムが現状に合っていないということ。
本書にあるような学校現場の努力のみに依存していると、いつかは破綻する。
貧困の連鎖という社会システムを放置した結果、
現場の教員の負担は年々重くなっていくばかりである。
エリート教育にばかり気を取られていないで、
底辺をいかに底上げするか考える時期に来ている。
もはや放置できない現状がある。
「学校のバケツの底が抜けきる」時期は近いかもしれない。
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記事は「方眼ノート」で書いています。こちらも近日ご案内をします。